旅立ち。悲しいのは、その日々があまりに美しかったから。
いつだって、出会いがあるから別れがある。
その別れが寂しい、強い感情を起こすほど、きっとその人物はあなたにとって大きな意味のある人だったのだ。
だから、いま、友達に手紙を書きながら、しんみりと、さみしい気持ちがあふれて、しばらく涙が止まらなかったが、それだけ、いい友達、私にとってとても大切な出会いだったのだと思うと、それは幸せなのだと思う。
来週の週末に、仲良くなった友達が韓国に帰る。
でも思い直す。究極には、別れではない。無事で、生きている限り、また会える。遠いところに住んでいるとしても。会おうという気持ちがあれば、また会える。そして、ずっと忘れない。今はテクノロジーがある。なので、メールでもLineでもオンライン会議アプリでも、なんとでもして、きっと簡単に繋がれる。
ニューヨークのこの冬から春。彼女と過ごした時間は、とてもかけがえのない時間だった。
友達は、最後の数週間、寂しくて、ニューヨークを去るのが悲しくてよく1人で泣いていたみたいだ。
I cannot stop crying. I don't want to go back.
I am listening to Borodin's string quartet and feeling very very sad...
Thank you for being there and being my friend,
と。そんなテキストに対して、私は、こんなことを考えて伝えた。
Oh your heart is aching...I can understand that the music makes you sad.
I am going to miss you too as you are missing your days in here in the U.S. But I think it is also happy for us because feeling sad is a real evidence that you had such meaningful days✨Your sadness is the reflection of happiness, right?
I realized that yesterday while writing a
letter for you. I couldn’t stop my tears dropping yesterday, but I thought “ Oh how lucky and happy I am, I have a lot of precious memories that I am missing.”
And we will live our future with such great memories and experiences, that makes difference!!
このテキストを考えた時に、まさに、そうだなと自分でも、悲しい別れや、悲しい旅立ちは、こう捉えられたらポジティブだなと思った。
こんなに悲しかったり、この場所を去りたくないのは、それだけ大切で美しい思い出にあふれているから。それは、悲しむことではなくて、とても幸せなこと。
別れや旅立ちが、寂しいのは、それだけ幸せで充実した時間を過ごしていたことを写す鏡なのだと思う。
そう考えると、私も止まらない涙を流しながら、悲しい感情は、満ち足りた気持ちに変わっていった。